熊日新聞 きょうの発言vol.2

「スイッチ」 (熊本日日新聞夕刊「きょうの発言」2010年1月12日付)
 坂本善三美術館は、明治5年築の民家を本館に持つ、全館畳敷きのちょっと珍しい美術館です。足の裏に畳を感じながら見る絵画は、なぜかほかの美術館で見るよりも何となく身近に感じられるから不思議です。これまで当館では善三先生の抽象画はもちろん、アメリカのポップアートの画家アンディ・ウォーホルの作品を展示したこともあります。そんな外国の作品が畳に合うのか気がかりではありましたが、いざ展示してみると、畳の空間に意外にしっくり馴染んで、肩の力が抜けたように見えたものです。
この不思議な親近感は一体どこからくるのでしょう。その秘密は、「靴を脱ぐ」というところにあるのかもしれません。
善三美術館に来て靴を脱ぐということを、ある現代美術家は「スイッチが入る」と表現しました。つまり、靴を脱ぐことによって、「さあ、今から何かがはじまりますよ」という気持ちの切り替えスイッチが入って、これから見るものに対して心を開く準備ができるのです。
こんな心の切り替えスイッチは、意外と日常の中にも潜んでいます。子どものころ、誕生日や新年の朝が特別に新鮮で無性に光り輝いていた記憶はありませんか。何もかもが新しく感じられたあの日。大人になると切り替えることを忘れてしまいがちですが、例えば朝、玄関のドアをスイッチにして心を切り替えると、いつもの毎日が新しく見えるかもしれません。
坂本善三美術館学芸員 山下弘子

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